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ダイキチ☆デラックス〜音楽,本,映画のオススメ・レビュー

オタク学入門 東大「オタク文化論ゼミ」公認テキスト

岡田斗司夫  1996年

日陰者には日陰者の幸せがあると思う

 その昔、オタクであると知られることは、例えるなら、深層の令嬢が実は快楽殺人者で、おまけに皮膚がゴキブリの羽でうろこ状になっている奇形人間だったと知られるようなものでした。そもそも、オタクというのは、アニメとか特撮とかに異常な執着を見せる人達を指す言葉で、今のように、「少し変わった趣味を持っている人」とか「少し詳しい知識を持っている人」などというマイルドな定義など存在せず、どこへ出しても恥ずかしい、世間から迫害される日陰の存在だったのです。ただ、あの閉塞感というか孤独感みたいなものが、テニスだのスキーだのサーフィンだのカラオケだのが趣味だと吐かす空虚なバブル型のバカタレどもには絶対に味わえない充足感をもたらしてくれていたのも事実なのです。そんな、オタクだった私が、ちょっと違和感も覚えてしまった名著です。

 萌えも電車男も腐女子もすべてここから始まった!今や世界が注目するニホンは「オタク」だけ。1980年代に発生し、今や世界中の若者に浸透した「オタク」文化。その生態研究から見えてくるのは、ジャンルを超えることを恐れず、努力を厭わない、知的冒険者の姿である。本書は、第一人者がその本質を明らかにした、教養としての「オタク学」の金字塔である。

 というわけで、オタクこそが日本古来の価値観を受け継いだ芸術家なのだといったような論の展開など、面白いことは面白いんですが、せっかくオタクでも人類の一種類と認められ始めた昨今、こんな本を文庫化して世間に流布する意義がどこにあるのか、改めて啓蒙する必要があるのか、いささか疑問です。世間のオタクに対する理解とか寛容などといったものが、実は大いなる誤解に基づくものであることは自明であるはず(「健康オタク」なんてものは、矛盾も極まれりといった言葉ですが、こういうものも含めてオタクだと思われている)なのに、これを読んだ人達にオタクの気持ち悪さを再認識させるだけではないのでしょうか。「寝た子を起こすな」理論というのは、極めて現実的な政治的態度を示す言葉だと思うのですが。それに、サブタイトルに「東大「オタク文化論ゼミ」公認テキスト」と銘打ってありますが、そういう権威にすがってまで為すべきことなのかという疑問もあります。私は、この本に書かれているような立派なオタクではありませんが、正直言って、放っておいてくれないか、という気分が先に立ちます。かつてオタクが住み暮らしていた日陰の世界も、「フツー」の人達に踏み荒らされてしまった。オタクが、どんなに蔭へ裏へと逃げ回っても、必ず安住の地を追い出されてしまう。迫害されるのはつらいけれど、無理して理解してもらう必要もないと思うのは、私だけではないと思うのですが。