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ダイキチ☆デラックス~音楽,本,映画のオススメ・レビュー

頼子のために

法月綸太郎  1989年

消えた喜びの光よ、おまえ!

 「頼子が死んだ」。一人娘の、夫婦が愛を注いでいた頼子が殺された。通り魔事件で片づけようとする警察に疑念を抱き、父親が復讐に立ち上がる。いかにして犯人を見つけ出すか。いかにして犯人に告白させるか。いかにして犯人を殺すか。父親は娘の死から日記をつける。17年生きてきた娘の証をこの世に刻み、父がその敵をとった証を刻むために。名探偵法月綸太郎は、その手記を手にして再び娘の生きた証を探し始める。そして、二人の男の思惑は最後に交錯する。綸太郎が暴く驚愕の真相とは?

 綾辻行人に続いて登場した新本格第一世代を代表する作家、法月綸太郎。いわゆる新本格作家の中で、私が一番次作に期待する人である。しかしながら、遅筆揃いの新本格の中でも飛びぬけて遅筆、したがって寡作。更に、うじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじうじ……悩んでいるのがトレードマークになっているみたいだけれど、もぉいい加減にやめてほしい。悩むことはかっこいいみたいに考えているのが透けて見えていやらしい。「満足できるものが書けない」と悩むくらいなら、いっそ商売に徹して書き散らせばいいと思う。作者の満足なんて必要ない。推理小説でなくてもいい。私小説でもいいから。それすら出来ないなら、作家なんかやめてしまえ。非情なことを言っているようだが、そろそろ大人になってもいい頃だ。怒涛のような出版点数の中で、ひとつひとつの作品の命は恐ろしく短くなっている。出版されたことすら知られないままに消えていく作品だってたくさんあるだろう。作家たるもの、本を出し続けなければならない。そりゃあ、箸にも棒にもかからない駄作を連発したって仕方がないが、読者というものは、そんなに高い完成度を求めているわけではない。傑作が出るのは何年かに一度でもいいから、それなりの作品をコンスタントに出し続けてこそ、職業作家ではないのか。続けざまに作品を発表するから読者もついてくるのであって、いつまでもお待ちし続けますなんて殊勝で我慢強い読者なんて極めて少数だ。職業作家としての自覚を持って、大いに稼いでほしい。評論家に転向するのなら、それでもいいけれど、あんなに難解で読みにくい評論など、誰も読みたいとは思っていないぞ。

 こんなにキツイことを言うのは、この人が、こんな大傑作を物しているからである。こういう作品を書ける才能を持っているくせに、うじうじうじうじうじうじうじうじうじうじ……悩んでいるのに腹が立つのである。私だけが褒めているのではない。好き嫌いの激しい某主婦に至っては、読後、感動のあまり手が震えて止まらなかったという報告も来ておるのだ(加齢で中風になったのではないかという噂もあるが)。とにかく、がんばれ。みんな、次の作品を、首を長くして待っている。


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