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ダイキチ☆デラックス~音楽,本,映画のオススメ・レビュー

不安な産声

土屋隆夫  1989年

職人が丹精込めて作り上げた芸術品

 土屋隆夫は地味。とにかく地味。派手な死体が転がりだすわけでもなし、奇想天外なトリックが弄されるわけでもなし、超人的な推理力を持つ名探偵が出てくるわけでもなし、絶海の孤島で連続殺人が起きるわけでもなし、何と言うか、キャッチーな要素というものが見事なまでにない。おまけにものすごい寡作家で、最高傑作の誉れも高き『危険な童話』を発表したのが1961年、それから、この『不安な産声』までの28年で長編を5本しか書いていない。あまりにも少なすぎるんじゃありませんか。それに、その数少ない作品も、そんなに売れているわけじゃなさそうなので、同じ推理作家という肩書を持っていても、書きまくって売れまくっている赤川次郎や西村京太郎とは大違いである。しかし、読めば赤川作品や西村作品の十冊分以上に匹敵する内容の濃さ、感動の大きさが味わえるのだ。本作は『影の告発』(1963)、『赤の組曲』(1966)、『針の誘い』(1970)、『盲目の鴉』(1980)に続く、9年振りの千草検事シリーズ第5作にして最終作。

 大手薬品メーカー社長・大原照久宅の庭で、お手伝いの女性が強姦・絞殺された。死体の発見者は長女の大原久美。容疑者として明和医大教授・久保伸也の名前が浮かび上がる。彼は、久美の婚約者・久保正志の父であった。久保教授にはアリバイがあり、殺害動機もなければ証拠もない。しかし、彼は自供したのである。地位も名誉もある大学教授が、なぜ罪のない女性を殺したのか?担当検事・千草が見た、理解を超える事件の裏に隠された衝撃の真相とは……?

 これは全体が、既に拘留されている犯人から検事にあてた上申書という形を取っている。上申書を書いている人物は「犯人」として登場するけれど、これまで幾多のミステリで扱われてきた「手記」と同じで、書き手が勝手に書いているものだから、内容がすべて真実とは限らないわけである。地位も名誉も(たぶん、金も)ある医学部教授ともあろう人が、何故、強姦殺人の罪を自供したのか?本当に彼は真犯人なのか?真犯人だとしたら、その動機は何なのか?真犯人ではないとしたら、何故、彼は真実を語ろうとしないのか?それとも、真犯人でありながら、検事の心証を誤導するために、偽りの上申書を書いているのか?すべてが謎、すべてが宙ぶらりん、実にうまい設定、これこそ上質のサスペンスである。そして、ラストに明らかになる衝撃の真実。強姦だの殺人だのとは別の次元の大きな問題に光を当てて物語は終わる。決して外さない作家、土屋隆夫による、派手さはないけれど、滋味あふれる名作です。これ以上ないという充実の読後感を保証いたします。太鼓判です。


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