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ダイキチ☆デラックス~音楽,本,映画のオススメ・レビュー

薔薇の葬列

[監督]松本俊夫 [出演]ピーター、土屋嘉男、小笠原修  1969年

あるべき正しいオカマとは?

 考えてみたら、ピーターの演技は市川崑監督の『獄門島』『病院坂の首縊りの家』『必殺からくり人血風編』くらいしか記憶にない。したがって、上手いのかと訊かれたら、「いや、普通の兄ちゃんやったで」としか答えようがないほどに印象が薄かったりする。まぁ、ビジュアル系なので仕方ない(特に『獄門島』)。バラエティーとかトーク番組で見せる抜群の話芸や面白さは、ドラマの中では発揮できないし、発揮できるような役を振ってもらえなかったんでしょう。なんと言うか、ちゃんとしたオカマ(性的な嗜好がどうこうというのではなく、化粧している男、というような一昔以上前の感覚の用語として使っています)として扱われていますね。最近のKABAちゃん(何が「ちゃん」じゃコラ)だかなんだかいう中途半端な奴らとは次元が違うんです。本人と周囲の人々(売り出す側)の確固たるコンセプトワークというか決意というか意志の力みたいなものが違うのです。

 あ、突然思い出したけれど、『プレイガール』での義賊ピーターパン役ってのもあったな。あれなんか、そういう意思(こういうキャラとしてやっていきます、みたいな)が明確に映像として結実していると思う。同じく盗賊役で出たカルーセル麻紀とのラブシーン(第161話「真夜中の技くらべ」……タイトルからして狂っている)なんて核兵器並みの破壊力で、よくもまぁ、お茶の間に流したなと思える映像です。相当の覚悟を持った芸能生活です。あれをKABAちゃん(せやから、何が「ちゃん」やねんっちゅうんじゃボケ)に演れったって無理でしょ?こんなふうに色物としての覚悟を決めている芸能人って最近見ない気がする(叶姉妹には色物としてのオーラが出ているけれど、おそらく本人は何の覚悟もしていないだろうし、色物だとも思ってはいないだろう)。汚くて面白くないオカマが増えたのは、個性がどうとか本当の私がどうとか人権感覚とか、そういったものに密接に関係しているのかも知れません。

 で、この映画ですけど、そんな(どんな?)ピーターのデビュー作。土屋嘉男は期待どおりの怪演でさすがって感じですが、ストーリーを追うなんてことは無駄だし、追ったところで大した話ではない。新宿のゲイバーでカリスマ的魅力を誇る少年ピーターは、経営者の土屋とバコバコハメハメの毎日、そのことを知ってジェラシーの店のママと対立。やがてママはピーターの顔を傷つけて二目と見られぬ化物にしてやるわ! と意気込むも、失敗してアッサリ自殺。しかし、店も土屋も自分のものになったピーターは、土屋が実の父親だったことを知ってしまう……って、ギリシャ神話のオイディプス王の悲劇(男子が、それとは知らず父親を殺害し、それとは知らず母親と性的関係を持つ)が元になっているからといって別にありがたがることもない他愛もない話で、ピーターという芸能人を生み出し得た60年代(来るべき70年代)の空気を味わうべき映画です。それにしても、淀川長治は、どういうつもりで特別出演(本人役)したんでしょう?やっぱりホモつながりかしら?


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