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ダイキチデラックス

漱石と倫敦ミイラ殺人事件

島田荘司  1984年


すべてのシャーロッキアンに捧ぐ

 ロンドンに留学中の夏目漱石は、下宿先で夜毎、亡霊が唱う妙な歌に悩まされていた。教師のクレイグ氏の忠告に従い、イギリスが生んだ名探偵、シャーロック・ホームズのもとを訪れた漱石は、あっという間に謎を解くホームズの頭脳と奇人ぶりに驚く。折しも、そこに金持未亡人が訪れ、「中国人に呪い殺される」と怯え、木彫りの仏像に祈りを捧げている弟キングスレイを救ってほしいと依頼する。しかし、まだ事件が起こったわけでもなく、しかも「呪い」を防ぐことなどできるのかとホームズが迷っている間に、未亡人の不安が的中してしまう。翌日、レストレイド警部から届いた手紙によると、キングスレイは自室内で一夜にしてミイラとなってしまったというのである。呪いに怯える彼は、ドアや窓を釘で打ち付け完全な密室状態にしていたが、火災の気配を感じた執事がドアを破ると、キングスレイの身体が燃え上がっていたというのだ。異常なほど干からびていた遺体の口内から発見された紙片には、何か文字らしきものが書かれており、仏像の手足が分断されていることも分かったが、それは何を意味するのか。事件解決に東洋人の助けが必要と考えたホームズは、漱石に協力を仰いだ。

 1900年(明治33年)、文部省から英語研究のためイギリス留学を命じられた漱石ですが、官給の学費は少なすぎ、かなり苦しい生活だったようです。おまけに日本人が英文学を学ぶことに対して違和感を感じたり、東洋人だということで差別を受けたりで猛烈な神経衰弱に陥ったため、「漱石が発狂したらしい」と思った文部省から急遽帰国を命じられ、2年の留学を終えることになります。この史実を利用して、あの島田荘司が書いた漱石とホームズのパロディです。この作品のような洒落っ気は実に好もしいものです。ホームズと漱石が出会う、という着想もさることながら、(ワトソンが書いた)ホームズのパートと、漱石が書いたパートとで、お互いが相手を見る目の違いが、同じ場面をこうも違う味わいに変えてしまうのか、という描写もされていて実に面白い。おまけに漱石パートでは、いわゆる聖典批判もされていて、若かりし頃の島田のミステリに対する愛情がビシビシと感じられ、当時は本当にミステリファンのために書いていたんだなぁ、と感慨もひとしおです。80年代のカリスマだったのも故なきことではなかったのだなぁと懐かしい気持ちになってしまいます。

 こういうユーモア系には『嘘でもいいから殺人事件』とか『嘘でもいいから誘拐事件』なんてのもありましたが、あの著者近影で見られる暗い怖い顔からは想像しにくいです作風です。この頃の島田は色んなジャンルに手を出していて、『サテンのマーメイド』なんて(著者近影の顔のイメージとも合っている)ハードボイルドまで書いています。最近では小難しい方向へ行ってしまっている島田ですが、もう、あの頃のようには書けないんですかねぇ。


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