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ダイキチデラックス

亜愛一郎の狼狽

泡坂妻夫  1978年


「ああ」じゃありません「あ」です

 亜愛一郎は、雲、魚、虫、化石等を被写体にした学術系カメラマン。背が高く彫りの深い気品のある美貌の持ち主なのに、奇妙で間の抜けた行動が多く、とろそうなのに腕っ節は強いという謎の男。なぜか行く先々で偶然にも殺人事件に出くわすことが多いのだが、いつも捜査めいた行為もせずに観察と(ほとんど妄想に近い)推察だけで事件の真相を見抜き、そのショックで白目を剥いてしまうのだった。

 鮎川哲也の三番館シリーズ、都筑道夫の退職刑事シリーズと並ぶ本邦三大本格短編集のひとつ、それが泡坂妻夫の亜愛一郎シリーズなのであります。いきなり決め付けていますけれど、これは厳然たる事実なのです。問答無用です。宇宙の真理です。古来より本格推理小説の真髄は短編にあり、というようなことを言われています。そりゃまぁ切れ味という点から考えりゃ確かにそうなのでして、おまけに、長編を支えきろうと思うと、純粋に推理だけの内容では間が持たないという本質的な問題もあり、そんなわけで、この3シリーズには、「やっぱり本格推理は短編に限るよなぁ」なんて思えちゃう説得力があるのです。

 で、この亜愛一郎シリーズは1976年から1984年まで書きつがれたもので、全24編が『亜愛一郎の狼狽』、『亜愛一郎の転倒』『亜愛一郎の逃亡』の3冊にまとめられております。「日本のチェスタトン」と呼ばれた泡坂妻夫の代表作にふさわしく、逆説を見事に使った切れ味鋭い短編揃いです。泡坂のデビュー作であり、亜愛一郎初登場作である「DL2号機事件」からして、ものすごい発想を楽しめます。愛一郎ならずとも、白目を剥いて気絶してしまうレベルです。同作の中にある「写真にはドーナツ型の雲と、DL2号機が写されていた。しかし誰も雲など気にしない。おや、飛行機の写真だね、と言うのであった」という一節が、このシリーズの精神を体現しており、全編で屁理屈寸前、無理が通れば道理が引っ込むレベルの推理が楽しめます。

 シリーズ全作が創元推理文庫で読めますが、第二集『亜愛一郎の転倒』の巻末解説で、シリーズ最後に明かされる驚愕の真実について思いっきりネタバレされているので要注意です。やったのは田中芳樹という奴ですが、何様のつもりなんでしょうか。解説と言うほど立派な文章でもないくせに、あんな悪質なネタバレを自覚的にやるなんて極悪非道、物書きの風上にも置けぬ不逞の輩です。重版以降は書き直されているらしいけれど、万一のために、解説は3冊読み終えるまで絶対に読まないこと。いいですね。それはさておき、愛一郎の先祖だと思われる亜智一郎、表向きは江戸城雲見櫓でひねもす雲を見て過ごす雲見番、その実は将軍直属の隠密の活躍を描いた『亜智一郎の恐慌』という短編集もありますので、興味のある方は是非どうぞ。


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