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ダイキチデラックス

盲獣

[監督]増村保造 [出演]船越英二、緑魔子  1964年


痛ければ痛いほど、苦しければ苦しいほど悦びを感じるように

 触覚美を求めて(触覚的に)美しい女性を次々と監禁し、その触覚を楽しむ盲獣。やがて彼は、触覚に訴える彫刻を造り、触覚芸術を完成させる……江戸川乱歩原作のド変態小説の映画化。ぶっちゃけ中途半端な出来の原作ですが、この映画は原作を凌駕し、恐るべき完成度を見せつけてくれます。すごい奴だぜ、増村保造。

 ファッションモデルの緑魔子は、自分のヌード写真が展示してある写真個展会場で、奇妙な男を目撃した。彼は、魔子をモデルにした石膏裸像を丹念に撫で廻していた。それから数日後、魔子は、呼んだマッサージ師にクロロホルムを嗅がされ、誘拐された。連れ去った男、船越英二は先天的な盲人だった。彼にとって、この世で一番素晴らしいものは女体であり、理想の女体として探りあてたのが魔子だったのだ。「触覚の芸術」のためにモデルになってくれるよう迫る船越に、魔子は、彫刻が完成したら釈放することを条件に引き受けた。しかし、監禁に耐えられなくなった魔子は、脱出の機会を伺うようになる。やがて魔子は、船越が母親の千石規子と、異常なまでに強く、愛情で結ばれていることに気づいた。魔子は、意識的に船越に接近することで規子の嫉妬心を煽り、自分を追い出させようとしたが、規子は船越に殺されてしまう。母を殺すことによって、母から解放された船越は、魔子を獣のように犯した。魔子は船越の復讐を受けながら、自分の愛を求めようとしている彼の気持ちを感じ、やがて、甘美な触覚の世界に没入していった……。

 船越英二の爽やか過ぎる盲獣、そして出ました緑魔子!の、ほとんど二人芝居。彫像を撫でまわしまくる姿が笑いと気色悪さを醸し出す冒頭のシーンから、緑魔子を誘拐してくるところまでは、まぁ原作とさほど違わないんですが、その後、原作を大きく逸脱し、盲獣の愛の物語へと変わっていきます。原作のような凶悪な部分が影をひそめ、ただ普通に人を愛せない子供のようなイメージを前面に押し出す盲獣。「人の話や点字で知るところによると、この世には目を楽しませるものが一杯ある。しかし、僕にはどうすることもできない。盲人の世界に残されているものは、音と匂いと味と触覚ばかりだ。音は、音楽は、僕には吹きすぎる風のようで、物足りない。匂いは悲しいことに、人間の鼻は、犬のように鋭敏でない。食べものは、ただ腹がふくれるばかりだ。そう考えてみると、触覚こそ、わたしたち盲人に残された、たった一つの楽しみであることが分かったのです」と切々と訴える船越英二が悲しすぎます。純粋に愛しているのに緑魔子は怯えるだけ、すれ違う二人の心、ああ、愛って、なんて残酷なの!というような文学的な展開はせずに、謎の妖しい世界へ突入していきます。触覚だけの愛の生活……って単にSMなんですが。部屋の中心には大きな女体の裸像が仰向けとうつ伏せの2つ、壁には人体の各部(眼、鼻、唇、胸、手、足……)を大きくして彫像したものが張りつめてあるアトリエのセットが、とにかくビックリ。あのセットを組んだ人は発狂しなかったのだろうか。「触覚の世界は昆虫の世界」と誤解も甚だしいモノローグのうちに、物語は大破局を迎えるわけですが、「噛んで!」という名台詞はしばらく耳に残ること確実。原作から、「芋虫ごーろごろ」とか「鎌倉ハム大安売り」とかいった主人公の残虐な性格を省くと、こんなふうになるのかと、脚色というものの奥深さも感じさせる大傑作です。


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