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ダイキチデラックス

犬神家の一族

[監督]市川崑 [出演]石坂浩二、高峰三枝子、島田陽子、あおい輝彦、加藤武、三國連太郎  1976年


偶然をたくみに筬にかけ、ひとつの筋を織り上げるには、並々ならぬ知恵がいる。

 日本の製薬王といわれた信州・犬神財閥の創始者、三國連太郎は、ウォーレン・ベイティの『ディック・トレイシー』並みのメイク、おまけにセリフなしで「誰が演じても同じではないか」と観客に思わせて他界した。しかし、死の床を囲む高峰三枝子、三条美紀、草笛光子という腹違いの三人の娘と、孫達(地井武男、川口晶、川口恒)は、重鎮の死の演技はスルーして、遺産相続に目の色を光らせる。そんな共演者の思いを知ってか知らずか、連太郎は、出征中の孫、あおい輝彦が復員し、遺族が全員集合しなければ遺言状を公開するなと命じていたのだった。もったいをつけて復員した輝彦だったが、戦争で顔を負傷したと言ってコンドーム仮面となって登場、これまた「誰が演じても(以下略)」状態(後に上條淳士の『TO-Y』にも登場)。本人かどうか分からないからコンドームを取れと主張する遺族達であったが、いざ取らせてみれば恐れおののいて中出し回避、とりあえず遺言状の中身を聞くことにした。すると、犬神家の全財産と全事業の相続権は、連太郎が今日の地盤を築いた大恩人の孫娘、島田陽子に譲渡するとのこと。ただし、そのためには、陽子は、輝彦、武男、恒のいずれかと結婚しなければならない。怒り心頭の母親達、自分のことが何も書いてないと悲しむ晶を横目に、それぞれ陽子を我が物にしようと股間を膨らませる男達だったが、武男が菊人形の生首となって発見される……。

 80年代にかけてエンタテインメント界の最前線を駆け抜けた角川映画の第1回作品。豪華絢爛、日本ミステリ映画の金字塔。従来の日本映画のイメージを覆すモダンな演出が、陰惨な事件を必要以上に重苦しくなく描いて見事なエンタテインメント作品となっている。そして何が素晴らしいと言って宿の女中役である坂口良子が素晴らしい。いや、川口晶も良いのだけれど、やっぱり坂口良子に尽きる。既に『ウルトラマンタロウ』で怪獣相手にバレーボールをこなし、この後、土曜ワイド劇場の三毛猫ホームズシリーズや『池中玄太80キロ』にも出ることになるのだが、当時21歳、デビュー5年目で可愛さ爆裂。彼女がいなければ、ここまで面白い映画にはならなかっただろう。それにしても原作には全く出てこない役を、ここまで魅力的に描いて映画自体のカラーを変えてしまうのだから、市川崑というのは大した監督である。

 市川崑は全部で7本の金田一映画を撮ったが、最初のこれと続く『悪魔の手毬唄』以外は、正直あまり面白くない。『獄門島』は原作の改変っぷりが酷く、『女王蜂』はヒロインに魅力がなく(これって致命的)、『病院坂の首縊りの家』は地味すぎる。それでも勢いで見せきったが、探偵とヒロインに魅力がなさすぎの『八つ墓村』は大失敗、リメイク版『犬神家の一族』で晩節を汚してしまった。30年も経って、監督、主演、シナリオのほとんどを全く同じまま作り直すことに何の意味があるというのだろうか。オリジナルと同じ役者は年を取ってボロボロになっているし、代わった役者はみんなレベルダウン。オリジナルに匹敵しているのは松坂慶子くらいではないか。大きく異なっているのはラストシーンだが、市川監督の「金田一は天使とか神様のつもりで撮っている」という姿勢を、わざわざセリフで言わせるなど愚劣の極み。どうせ撮るなら、得意の犯人変更をやればよかったのだ。オリジナルと同じように進んできて、最後の最後であっと驚く真犯人!くらいの趣向がなければ、リメイクの意味なんてないだろう。松嶋菜々子の意地悪そうな顔は、真犯人にふさわしかったのに、実に残念。ホラー映画ヒットで調子こいたプロデューサー一瀬隆重の舐めた態度が透けて見える仕事で、担ぎ出された挙句、これを遺作にされた市川監督が実に可哀想である。


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